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メディア情報

 東京新聞 3/8朝刊に掲載されました

 

到着コメント

4人の監督それぞれのフェミニズム。
中には自分と考えの違うものだってある。
けれど遠慮はいらない!

日本にはびこる家父長制に縄をかけて引きずり倒せ!
GO!カウガール!

東海林毅(映画監督/映像演出)

「Bird Woman」と「怒れる人形」では、痴漢やレイプ、セクハラなど、女性たちが日々さらされている暴力に対する対抗暴力が描かれる。彼女たちが立ち上がる契機となるのが仮面や人形の存在で、ストレートな怒りが作劇を貫いており、見ていて高揚感があった。どちらも映画後半になると対抗暴力の不可能性をめぐる展開になるのが少し残念だった。むしろ彼女たちは痴漢どもを根絶やしにし、権力を振りかざしてセクハラに及ぶような上司どもを殲滅しつくすべきではなかったか。今、彼女たちに必要なのは、世間にとって都合のいい物分かりの良さや行儀の良さではない。打倒すべき相手はもちろん、そいつを匿ったり庇ったりする連中もろとも滅ぼし燃やしつくすミヒャエル・コールハースのような怒りの徹底でなければならないはずだ。

井土紀州(脚本家・映画監督)

人形とは“子宮”が変化〈へんげ〉したものではないか。人種を超え、艶かしさを携え、どんな姿にも形を変える。ゆえに、4つの作品を観終わると無限の宇宙に放り出されたような感覚。掴めない。なすがまま。性別はない。気づけば自身が“人形”〈ソレ〉になっていた。

河野知美(俳優・映画プロデューサー)

「JOMON わたしのヴィーナス」
対自然の中で、女性という存在がしっかり伝わってきました。 生命力がすごかった!短編にふさわしい内容だったと思います。 この男性バージョンもぜひ作ってほしい。女性監督が男性とは何なのか、ちゃんと描くことで初めて対話の舞台が整うのだと思います。

「Doll Woman」
この人形と暮らし、幼児のようになっている女性は、退化なんだろうか。 それはむしろ純化なんではないかと、この作品を見ながら思いました。 だから耳の聞こえない、コミュニケーションに不便がある男性のことをすんなり受け入れられたんだろうなあと。 寂しくて、誰でもいいから、受け入れるというように見えない演出に希望を感じました。

「怒れる人形」
なかなか被害がヘビーだったのに対して、ただ大好きなお姉ちゃんを守りたい一心で、頑張っている妹が健気でかわいかったです。 「自分は違う」と思っている人が、こういう作品を見て、少し己を振り返ってもらえたらと思いました。

「女のカタチ」
サブリミナル的に、女と男の対比が入ってくるので、男性嫌いになりそうな不安に駆られました。 「男性嫌いになりそうな不安」というのはまさにここで、いい意味で、この作品は女性の中にたまった毒を出すためのものなんじゃないかなというのが率直な感想です。 それを監督のパーソナルな言葉で語っているので、社会運動家的な印象がありました。フェミニズムの現代アート展に行ったような感覚になり、刺激的でした。

柏木しょうこ(映像・英米文学翻訳家)

 

『Bird Woman』
映画完成おめでとうございます。
いやあ、楽しませて頂きました。
バードマスクの見事な造形や早回し、ユニークな鳥の鳴き声ご挨拶が不思議な世界観を成立させていました。いや、楽しいとは簡単に言ってしまってはいけない、男性として正座して見たくなるような作品でした。のほほんと男性中心社会を謳歌してきた日本(に限らず)映画界に、楔を打ち込むような鳥の一撃だった。
 
深田晃司(映画監督)

女性に生まれて気づかないうちに
気づかないように傷ついてきたことが
たくさんあったのだと思う。
子供の頃、ずっと人形が傍にいて対話していた。
悲しみや苦しみ、そして喜び。
映画を観ていて、今まで無垢な人形たちが笑顔で受け止めてくれていたことに気づいた。お気に入りのカネゴンやウルトラセブンのソフビ、リカちゃん人形に励まされながら、人形にしか自分の本当に辛かったことを話すことができなかったのかもしれない。
四人の女性監督がそれぞれ紡ぎ出す作品の中で、性差別、セクハラ、パワハラ、ミソジニーなど、多岐にわたる被害に苦しめられながらも、人形を通して何かを克服していく女性たちの姿に励まされていた。

田中さとみ(詩人)

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